呼吸する環礁(アトール)—連なりの美学 / 難波 祐子(キュレーター)

モルディブと日本を繋ぐ展覧会

モルディブ―インド洋に浮かぶ大小1,200もの珊瑚礁の島々からなる国。多くの日本人にとってモルディブは、いつかは行ってみたい、だがなかなか行くことの叶わない憧れの地だ。私自身、モルディブで現代美術の展覧会を開催するという今回の国際交流基金からの話がなければ、モルディブという国について、またそこに暮らす人々について思いを巡らすことは正直なかった。かくして、私が生まれて初めて会ったモルディブ人は、展覧会実施に向けた調査出張前に東京でお目にかかったアハメッド・カリール駐日モルディブ大使だった。そこでモルディブの美しい島々の多くが、近年の地球温暖化による海面上昇などにより水没の危機に瀕しており、環境問題が重要課題であることを伺った。日本の現代美術作家をモルディブで紹介しながら、「環境」をテーマとした展覧会を実施して欲しい、というのが大使と国際交流基金からの要望であった。

 

初めてモルディブを訪れたのは2011年9月中旬。首都マレを中心に視察した。隣国インドやスリランカの人々を思わせる南アジア系の顔立ちの人々。モスクと町中に響き渡るコーラン。初めて目にするディベヒ語で書かれた看板。底まで透き通るような海の水の美しさ。そして会場となる国立美術館でキュレーターのマリヤム・ファジーラ・アブドゥル=サマッドに初めて会った。美術館には、地元作家や環境保護団体のメンバーなどが集まり、それぞれの活動を紹介してくれた。その後、彼らから矢継ぎ早に質問が飛んだ。「ここでどんな展覧会をするのか?」「何をしたいのか?」「私たちも何か一緒にできることはないか?」そう、モルディブという地で初めて本格的な日本の現代美術作家の展覧会を催すということは、モルディブの人々にとって、また作品を発表する日本人作家にとってどういった意義があるのだろうか。それをキュレーターとして、この最初のモルディブ訪問からずっと考えてきた。

 

モルディブでの展覧会実施の話を受けたおよそ半年前、2011年3月11日に起った東日本大震災と大津波、そしてそれに続いた原子力発電所の事故は、甚大な被害をもたらし、その影響は一年経った今も続いている。震災を経験し、改めて多くの日本人が人と人との繋がりや家族の絆について考え、またエネルギー問題、環境問題への意識を高めることとなった。震災の記憶の醒めやらぬ日本から、楽園のようなモルディブに作家を派遣し、作品を制作してもらうというのは、日本人にとっても一見、現実離れしたアイディアに思われるかもしれない。しかし一方で、今の日本人だからこそできる表現というものがあるはずだ。2004年のスマトラ沖大地震の際にマレは、日本のODA援助で建設された防波堤で津波による難を逃れることができた。このたびの東日本大震災の際には、その日本への恩返しということで、モルディブから被災地へ特産のツナ缶約69万個の提供を受けた。お互い直接顔を見合わせる機会はほとんどないものの、日本とモルディブの間には、長きに渡って築かれてきた絆がある。日本人作家が、展覧会に先立ち現地でリサーチを行い、日本とは異なるモルディブ固有の自然環境や文化、人々の暮らしなどをつぶさに観察し、現地の人々と交流を重ねながら、滞在制作をすることで「日本」、あるいは「モルディブ」という国が垣間見えてくるのではないか。そのような思いから、今回は、モルディブという国が持つさまざまな「環境」についてアートを通して表現することに長けている日本人作家六組を招聘し、また現地からの視点を交えるべくモルディブ人作家二名にも参加してもらうこととした。

 

呼吸する環礁(アトール)

「雲と霧は同じもので、高さによって呼び方が違うだけなのです。」2011年12月にモルディブにリサーチに訪れた時に中谷芙二子はそう語った。中谷は、「霧の彫刻」で世界的に知られる作家だ。年間平均気温が30度前後というモルディブの気象条件では、霧を見ることがない。そのモルディブで中谷は水を使った人工の霧をこの度の展覧会場となる国立美術館に隣接する緑豊かなサルタン・パークに出現させた。霧は、風や人の流れ、温湿度、光などによってその表情を刻々と変化させる。中谷は、地元の気象台を訪れて、年間を通したマレの温湿度、風向や風速などの精密なデータを調べた。中谷がこれまで手がけた「霧の彫刻」のタイトルには、「国際地点番号」と呼ばれる5 ケタのアラビア数字が付されている。これは、世界各国にある観測所に一つずつ振り当てられた番号で、マレの番号は43555になる。各地点で観測された気象情報は、この番号と共に各国気象機関の世界的なネットワークで共有される。命の源である私たちの生活に欠かせない「水」で作られた中谷の霧は、芸術であると同時に科学的な眼差しに貫かれている。中谷の霧に包まれ、戯れながら、人と自然の関係について私たちは改めて思いを巡らせることができる。

 

ヒトは、太古の昔から巣の延長線上にある家屋から巨大な建造物まで、さまざまなものを自然環境の中に建て、またその風景を変えてきた。建築家の藤森照信は、サルタン・パークに《Human Nest, Maldives》と名付けた人一人が過ごすことのできるヒトの巣を設え、人間が生きていくために必要な環境について再考する。藤森は、現地の人々と共に外壁を日本の伝統的工法である「焼杉」で仕上げ、モルディブのヤシの葉で屋根を葺いた。どちらの国の文化でも大切にされてきたが、近代化の中で淘汰されつつある人の手作業による建築技法が、小さな巣となってよみがえる。

 

田口行弘は、初めて訪れたマレで、ムスリムの女性が身にまとう色とりどりの布に惹かれた。凹凸のある表面に布をあて、その上から絵の具を塗り、ものの形をこすり出すフロッタージュの技法を使って、通りの名前を彫った看板、塀に張り巡らされた木の根っこ、マンホールの蓋など町を歩きながら気になる事物を写し取る。パフォーマンスのように繰り広げられるそのフロッタージュの様子は、一枚ずつカメラに収められる。こうして撮影された写真を連続して見せる田口のストップモーション・アニメーションの映像は、マレの人々の何気ない日常風景を詩的に浮かび上がらせる。

 

モルディブの人々にとって馴染みの深い鳥、マイナ。狩野哲郎は、このマイナをインスタレーションに取り入れる。ホースやロープ、網など一見どこにでもある日用品を使ったインスタレーションは、実は、動物行動学や狩猟の知識、動物園や獣医師などへの取材に基づき狩野によって緻密に設計されたマイナにとって最適な「自然」環境だ。狩野の作り出した「自然」に身を置くことで、マレの人々にとってはあまりにも身近で意識することのないマイナと人との関係性を浮かび上がらせ、私たちを取り巻く自然環境、人間によって作り出された生活環境について再認識させる。一方《島々の花輪》と題された新作は、花輪のように連なって浮かぶ珊瑚礁である「環礁」で構成されたモルディブをイメージして制作されたドローイング連作である。対面の壁には、マスキングテープやステッカーなどでウォールドローイングも施し、もう一つの「自然」の風景が展開する。

 

荒神明香は、広大に続く海や空に恐怖心を抱く。それでも初めて訪れたモルディブの美しい海に魅せられ、夜の海に入った。トロリとした不思議な輝きをもつ水面は、異次元の世界への境界線のようだった。独特の圧迫感と浮遊感が荒神を包む。水中から水面を見上げると、もやもやと景色が揺らぐ。薄い水面を隔てて全く異なる世界が広がるように感じられた。その感覚を大小さまざまな大きさのアクリル・レンズを繋いで再現した。私たちを取り囲む世界の境界線は国境だけではない。環礁と海の境目もまた時の流れとともに波による浸食や津波などの自然災害、あるいは人工的な埋め立てなどによって変化している。レンズの内と外に映し出される世界は、人と人、人と自然、自然と自然などさまざまな世界の境界線を想起させる。

 

モルディブで観光業と同じく重要な産業がマグロやカツオ漁だ。中でもハガツオは「モルディブ・フィッシュ」と呼ばれるモルディブ式鰹節の原料となる。淀川テクニックは、ペットボトルなどマレ市内で拾い集めたゴミで作った無数の小さな熱帯魚を組み合わせて一匹の大きなハガツオの形にした。《さざれ魚》と命名された作品は、君が代に登場する「さざれ石の巌となりて」というフレーズから着想を得ている。さざれ石とは、小さな石のことを指すが、それらが長い年月をかけて凝結してできた大きな岩の塊のことも指す。モルディブの人々の暮らしは、生活物資も宗教も文化も海から渡ってきたものであり、日本もまた同じ海に囲まれた島国であることで、さざれ石を思い出したという。人々の暮らしを如実に反映している色とりどりのゴミが、淀川テクニックの手により魚の目やヒレ、鱗などに見事に見立てられていく。

 

モルディブには美術大学がなく、マレにある国立大学にも美術学部はない。従って地元の作家は、海外で美術教育を受けたり、独学で絵を描くなどして活動している人がほとんどである。アフ(アフザル・シャーフュー・ハサン)は、絵画やパフォーマンスなど幅広いジャンルで作品を発表している作家だ。今回の展覧会では、モルディブの漁師の暮らしなど伝統的なモチーフを使った砂絵によるドローイングで構成されたアニメーションを展示する。地元ミュージシャンとのコラボレーションで、音楽に合わせて即興的に刻々と絵を変化させていく。

 

「ミルゼロ」の名前でも知られるアリ・ニシャンは、普段はコマーシャルな写真を撮影するが、フォトジャーナリストとしての一面も持つ。これまでモルディブのさまざまな環礁を旅して、各地の風景やそこで暮らす人々の姿などを撮影し、モルディブの自然環境についてリサーチを重ねてきた。今回は、マレ市内で撮影された風物のほか、エメラルドグリーンの海や環礁の姿などモルディブの自然を素材とした写真を中心に発表する。

 

連なりの美学

ある特定の国や地域の美術を紹介する展覧会は、90年代にオーセンティシティ(本物らしさ)を巡る論議に火をつけた。特に非欧米地域の美術をどういった文脈で紹介するかについて多くの議論がなされ、一つの国の文化をいかに「正しく」表象するかについて、さまざまな方向性を模索した展覧会が催された。しかし21世紀に入り、今はその呪縛からも解放され、個々の作家の実践をいかに見せるか、またその個々の実践がより広い社会的、文化的な文脈とどう関わっているのかを切り取って見せるのかが現代美術の展覧会の課題の一つとなっている。アートで環境問題を即時に解決することは難しいが、私たちと同時代を生きる作家の作品による展覧会は、人と人の心を繋ぎ、私たちを取り巻く環境について、普段の生活では思いもよらなかった角度から新しい気づきや発見をもたらしてくれる。近年の急速なグローバル化と情報化の波は、遠く離れた人々同士を繋ぎ、お互いの情報をリアルタイムで入手することを可能とした。一方、現代美術は、実際に作品に接して初めてアクチュアリティを感じることができる、今の時代のコミュニケーションのあり方とはある意味対極にあるような極めてアナログなメディアである。展覧会は、作品を生み出す作家とそれを支える人々、そして何より作品を観に訪れる人がいて初めて成立する。それぞれの個性を発しながらも、モルディブの環境をテーマにゆるやかに繋がる日本とモルディブの作家たちの作品は、作品と作品、作品と人、人と人を繋ぐ連なりの美学を生み出し、あたかもさまざまな個性をもつ島々から成る環礁(アトール)のように新しいアートの息吹をモルディブに吹き込んでくれることだろう。

難波 祐子(キュレーター)

(難波祐子「呼吸する環礁(アトール)—連なりの美学」、呼吸する環礁(アトール):モルディブー日本現代美術展 カタログ

、2012年、国際交流基金、p. 20 – 25より)